2017年度(第17回 受賞者)

第17回 徳川宗賢賞受賞論文(2017年度)

優秀賞

「メタ・コミュニケーションとしてのメディア翻訳――国際ニュースにおける引用と翻訳行為の不可視性――」
第19巻1号118-134頁

坪井睦子
(立教大学)

萌芽賞

日本の中学生のジェンダー一人称を巡るメタ語用的解釈―変容するジェンダー言語イデオロギー―」
第19巻1号135-150頁

宮崎あゆみ
(お茶の水女子大学人間発達教育科学研究所)
  • 宮崎あゆみ氏は,現在,お茶の水女子大学人間発達教育科学研究所・国際基督教大学教育研究所に所属.

受賞理由

優秀賞

坪井睦子
「メタ・コミュニケーションとしてのメディア翻訳――国際ニュースにおける引用と翻訳行為の不可視性――」
第19巻1号118-134頁

 本論文は,民族紛争が続いたボスニア・ヘルツェゴヴィナにおける2013年の国勢調査に関するNHKニュースを取りあげ,メタ・コミュニケーションとしてのメディア翻訳について,言語使用者のイデオロギーとの関連から分析・検証したものである.分析では,アメリカ公共放送PBSの番組にNHKが日本語の音声をかぶせる形で放送した番組を取りあげ,引用とメディア翻訳の不可視性の関係を明らかにした上で,翻訳がメタ・コミュニケーションとしての多層的実践であり,そこにメディア翻訳の社会指標的意味の不等価性が生じていることを指摘している.
 分析をもとに行った検証では,それぞれの言語使用者によって指標された文化的・社会的意味が,翻訳の際の不等価なコンテクスト化により漏れ落ちていることを,ボスニア・ヘルツェゴヴィナの民族,人種,言語,宗教への深い知識のもとに読み取っている.
 本論文はさらに,欧米主要メディアが欧米中心のイデオロギーを反映しているとするならば,メディア翻訳の社会指標的意味の不等価性に対する注意深い目を持つ必要があることを説いている.
 このように本論文は,メディア翻訳の社会指標的な意味への意識を喚起し,更に不可視性に潜むイデオロギー性,権力性への人々の認識の必要性を説いている.このことは多民族共存社会での重要な課題でもあり,本研究の社会的意義は深い.このような意味で,本研究は非常に優れた研究であり,徳川宗賢賞優秀賞に値するものとして高く評価できる.

萌芽賞

宮崎あゆみ
「日本の中学生のジェンダー一人称を巡るメタ語用的解釈―変容するジェンダー言語イデオロギー―」
第19巻1号135-150頁

 本論文は,日本の中学生がどのようにジェンダーの境界を越えた一人称を使用し,どのように非伝統的一人称実践についてのメタ語用的解釈を行っているかを長期のエスノグラフィを元に分析したものである.
 分析の結果,支配的なジェンダー言語イデオロギーから距離を置く創造的なジェンダーの指標性が浮かび上がったとして,次のような例を挙げている.1)女性性に対する低い評価に伴い,「アタシ」より,中性的でカジュアルとされる「ウチ」が好まれている.2)女子が男性一人称「オレ」「ボク」を使用することが正当化されている.3)男性語であるはずの「ボク」を男子が使用する場合,望ましい男性性の欠損を指標している.
 中学生の一人称使用の実態を外から観察するのは難しいが,本論文では対象とした学年が中学に入学し卒業するまでの3年間にわたる綿密なエスノグラフィ調査を中心に,中学入学前の小学校での観察や,中学卒業後の追跡インタビューも行い,詳しく一人称使用の実態を解明している点が特筆される.観察だけではなく,生徒への個人およびグループインタビュー,教師や母親へのインタビューも行うことにより,生徒が自分たちの一人称使用についてどのようなメタ語用的解釈を行っているかも明らかにされており,読みごたえのある論文に仕上がっている.
 本論文は中学生のジェンダー一人称使用から言語と社会,言語とアイデンティティの関係を読み解こうとするものであり,徳川宗賢賞萌芽賞に値するものとして高く評価できる.

徳川賞を受賞して

坪井睦子

 この度,徳川宗賢先生のお名前を冠した名誉ある賞を賜ることになり,誠に光栄に存じます.本稿の構想から完成まで,様々な形で支えてくださった多くの方々と社会言語科学会の皆様方のお力添えに対し,この場を借りて厚く御礼申し上げます.
東西冷戦の終結が宣言されて30年近く経とうとしていますが,世界ではいまも紛争のニュースが絶えません.ニュースのグローバルな流れには,翻訳という社会的実践が深く関わりますが,その言語実践の多層性についてはほとんど研究されてきませんでした.1990年代はじめに壮絶な民族紛争を繰り広げたボスニア・ヘルツェゴヴィナに関する報道を聞きながら当時何度も覚えた掴みどころのない違和感が,メディア翻訳研究に筆者を誘う契機となりました.本稿は,メタ・コミュニケーションとしてのメディア翻訳の不可視性に潜むイデオロギー性と権力性を探求することを通し,その問いの答えの一端を明らかにしようと試みたものです.残された課題は山積していますが,本賞の名に恥じぬよう一層精進してまいる所存ですので,今後ともご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます.

宮崎あゆみ

 本稿は,中学生のダイナミックなジェンダー言語イデオロギーの構築過程を長期に渡るエスノグラフィによって明らかにしようとしたものです.教育社会学を基盤にジェンダー研究を始め,ジェンダー構築の複雑性を読み解く確たる手がかりが欲しいと思っていましたが,米国留学時に言語人類学と出会い,言語がジェンダーなどの社会構造を具体的かつ理論的に読み解く鍵であるということに気づきました.生徒たちの移ろいゆく複雑なジェンダー一人称使用と解釈を調査・分析するのは,方法的にも理論的にも困難な作業でしたが,編集者の先生方には本研究の発展を導く貴重なコメントをいただきました. 言語人類学,社会言語学,教育社会学などの分野に関わる学際的な研究活動を行ってきましたが,様々な分野の狭間に落ち込んでいるかのような不安がありました.この度このような名誉な賞をいただき,今後も研究に邁進する勇気が湧いてまいりました.東京大学やハーバード大学を初めとする多くの先生方や貴重な経験を共有してくださった中学校の先生方,生徒の皆さん,保護者の方々に深く感謝いたします.