2025年度(第25回 受賞論文)

第25回 徳川宗賢賞受賞論文(2025年度)

優秀賞

「理想とする「企業人」アイデンティティの矛盾—新入社員研修合宿の談話を事例として—」                              第27巻1号, pp.95-110.

齋藤純子(テンプル大学ジャパンキャンパス(掲載時*))                                       *授賞時の所属: テンプル大学ジャパンキャンパス

萌芽賞

「ロシアにおける同性愛嫌悪談話を解体する —#YesWillChoose ムーブメントのマルチモーダル談話分析—」                                                                                                                                                                                                                           第27巻1号, pp.187-201.

セメノワ アナスタシア(大阪大学大学院(掲載時*))                                                                                                                                                                                                                                                       *受賞時の所属: 大阪大学大学院

    萌芽賞

    「聴きながら話すこと―相互行為参加の調整区間としての促音―」                                         第27巻1号, pp. 171-186.

    劉 礫岩(京都文教大学(掲載時*))                                                                                                                                             *受賞時の所属: 京都先端科学大学                                                                                                                                             細馬宏通(早稲田大学(掲載時*))                                                                                                                                             *受賞時の所属: 早稲田大学

    授賞理由

    優秀賞

    斎藤純子
    「理想とする「企業人」アイデンティティの矛盾—新入社員研修合宿の談話を事例として—」                                                                                                              第27巻1号, pp.95-110.

    本論文では、「企業人」という概念に「社会人」が含まれるものとし、新入社員研修を、学生であった新入社員に「企業人」としてのアイデンティティを獲得させる場として捉える。「一人前の大人」である「企業人」を育成する研修では、新入社員個々人に、それまでとは異なるアイデンティティを形成させる。筆者は収集が困難な研修の録画データを得て、ある研修の講師が新入社員たちに、企業人という新しいアイデンティティを形成させる様子を分析した。

    分析対象は、その言語的実践のシーンである。それらのシーンで、講師が間主観性の方策を用いつつ、新入社員のアイデンティティを変容させようとする様子を、筆者は、マクロ・メソ・ミクロという3層のレベル、すなわち日本政府の取り組み、ビジネス界、研修の場といったレベルに位置づけながら、丁寧に分析する。そして、新入社員研修というミクロレベルでの企業人アイデンティティは、マクロレベルとは結びつかず、メソレベルで形成されていると結論づける。これによって、分析の観点として、マクロレベルとメソレベルとが分離されるべきであることが、説得的に主張される。 

    ビジネス界に限らず、現代社会では、多様な価値観、背景を有する人々が同じ社会の成員となり、その程度は著しくなる一方である。そのような状況において、アイデンティティが破壊・形成・操作されるという問題はセンシティブである。しかし、だからこそ理性的に向き合うべき事象でもあるだろう。この論文は、適切なデータ収集と分析をもって、アイデンティティに関わる事象に向き合う実践例として評価できる。これらの点をもって、本論文は徳川宗賢賞優秀賞にふさわしいものと判断された。

    萌芽賞

    セメノワ アナスタシア                                                                                                      「ロシアにおける同性愛嫌悪談話を解体する —#YesWillChoose ムーブメントのマルチモーダル談話分析—」                                                                                                                                第27巻1号, pp.187-201.

    国家体制およびそれに対抗する国民勢力がメディアを介して政治的議論を行なった場合、それぞれは言語をどのように武器として使うか。本研究は、2020 年にロシアで行われた憲法改正国民投票の戦いを例に、マルチモーダル談話分析でその疑問に挑んでいる。国家側は同性婚を禁ずる案を押し出し、「こんなロシアを選びますか」という動画を制作した。一方、この動きに立ち向かう国民勢力が生まれ、ツイッターなどソーシャルメディアで反対論を訴え続けた。分析対象としている国作動画は、孤児院を出る男の子の映像から始まる。出向かえに来た新しいお父さんに男の子は「お母さんは?」と尋ねるともう一人の男性が紹介される。この人の服装や動きが中性的でBGMで滑稽なメロディが流れる中で、養子に小さなドレスをプレゼントとして差し出す。分析方法は記号論などを取り入れた総合的なコミュニケーション分析で、台詞以外にこのように音楽や非言語行動、色使いなども考察している。伝わってくるメッセージには「同性愛者カップルがだめ」ということだけではなく、同性婚を禁じなければ「男性らしさそのものが脅かされる」というスタンスが含まれている。こうした国家キャンペーンに立ち向かって、芸術家やLGBTコミュニティの人々がツイッター上で論争を繰り広げた。動画のタイトル「こんなロシアを選びますか」は疑問形になっていた。反対勢力はこれに答えるように「はい、それを選ぶ」という標語を掲げた。まるで、メディア上で対話を繰り広げているかのような表現を選択した。反対勢力のデータとして分析したのは、ツイートの内容(人権を訴える、投票の不正行為を告白する、ユーモアで抵抗するなど)、そして同性婚をモチーフにしたイラストの送信回数などである。以上のように質的分析と量的分析を巧みに織り交ぜたこの論文は、まさに徳川先生が提唱したウェルフェア・リングイスティックスの見本となるものであると評価し、よって、徳川宗賢賞萌芽賞にふさわしい論文であると判断された。

    萌芽賞

    劉礫岩・細馬宏通                                                                                                      「聴きながら話すこと―相互行為参加の調整区間としての促音―」                                                                                                                                第27巻1号, pp. 171-186.

    本論文は、会話分析の手法を用いて日本語会話における「促音」を相互行為的資源として捉え直した画期的な成果である。従来の音声学・音韻論では、促音は発話内の音韻現象として扱われてきた。「促音」を相互行為の中で実現されるものとして捉え直した本論文は、確かに音声学の伝統的な「促音」の定義とは「ずれ」がある。しかし、まさにその「ずれ」こそが本研究の独創的な視点を示すものであるとも言えよう。著者らは、実際の会話データにおいて、促音の中の引き伸ばされた無音区間に着目し、それが単なる非流暢性ではなく、参加者たちが相互行為上の課題に対処するために戦略的に用いる資源であることを、精緻な分析によって明らかにしている。

    具体的には、促音の閉鎖を維持することによって、(1)自身の発話を完結させる前に相手が反応する機会を生み出しつつ、反応が不在の場合にそれが目立たないように処理する、(2)自発話の途中で相手の発話とのオーバーラップを解消しつつ自発話を再開する、(3)相手に発話の権利が帰属する状況で相手発話を優先させながら緊急性の高い発話を実行する、という三つのプラクティスを記述している。これらは、単語内の構成要素間の強い結びつきの中にある無音という促音の特徴を利用した、相互行為の進行と発話の権利をやりくりする手立てである。特筆すべきは、日常会話と自動車レースの実況中継場面という異なる場面におけるデータを併せて分析することで、促音の閉鎖の維持というプラクティスによって対処されている問題の多層的な性質をあぶり出し、それが確かに言語的相互行為資源であることを鮮やかに示している点である。

    本研究は、言語形式の使用を相互行為の中で捉え直すという会話分析の視座によって日本語相互行為の新たな分析対象を開拓した優れた研究であり、今後の展開を大いに期待できる。よって、本論文は、徳川宗賢賞萌芽賞にふさわしい論文であると判断された。

     

    徳川宗賢賞を受賞して

    齋藤純子

    この度は大変栄誉ある賞を賜り,誠に光栄に存じます.査読をしてくださった先生方, 編集委員の先生方をはじめ,本研究に多大なるご協力ならびにご尽力をくださった方々に改めて御礼申し上げます.

    データ分析を開始した当初,その内容があまりにも「昭和的」で大きな衝撃を受けたのと同時に,これが実態なのだと受け止めたことを覚えています.この経験をきっかけに,本稿では新入社員研修において形成される「企業人」アイデンティティが一体誰にとっての理想なのかを明らかにすることを試みました.また,アイデンティティの破壊・構築・再形成においてメソレベルが重要な鍵を握っていることも本稿で示したかった点の一つです.

    これまで言語分析を通して少しでも社会に貢献できればとの思いで研究を続けて参りました. この度の受賞はそうした姿勢を後押ししてくれたように感じております.本受賞を励みに今後も研究に勤しんで参りたいと思います.

    セメノワ アナスタシア

    この度は萌芽賞を受賞できたことを大変光栄に存じます.誠に思いがけない受賞ですが,大学院生である私にとって大きな励みになります.本論文の査読過程で査読者の先生方に心より感謝申し上げます.本論文の投稿にあたり,多くの貴重なご指摘をいただいた秦かおり先生,北井聡子先生,またご助言をくださったすべての方々に御礼申し上げます.

    本研究の博士論文の一部になりますが,検閲下のインターネット・メディアにおいて,様々なディスコース・アクターがいかに言説を構築するのかという点に関心を持ったことが出発点でした.また私たちを同時に言説の受け手であり生産者ともなりうるインターネット・メディアにおいて,言説闘争がどのように現れ,そこから社会に関していかなる洞察が得られるのかを明らかにしたいと考え,本研究に取り組むに至りました.本賞を励みとし,今後も本研究を継続してまいりたいと存じます.

     

    劉礫岩・細馬宏通

    この度は栄誉ある徳川宗賢賞にご選出いただきましたことは,望外の光栄に存じます.本研究の始まりは,当時院生だった劉が現象のデータを見せたところ,共著者の細馬先生が「これは昔,アメリカのラジオ番組でキャッチフレーズとして使われていた『ク(ッ)カモンガ』という地名(Rancho Cucamonga)の言い方と似ている」と想起されたという,細馬先生ならではの着想にありました.データの収集や分析に時間を要しましたが,このような形で実を結ぶことができたのは,まず査読者および主査の先生方が様々な有益なご指摘をくださり,そして修正に辛抱強く付き合ってくださったおかげです.また,会話分析研究会やEMCA互助会などの場で,幾度となくデータや分析を見ていただき,多くの洞察とご助言をくださった方々にも厚く御礼申し上げます.さらに本研究の分析は,串田秀也先生(大阪教育大学)による会話分析研究の知見を土台にしています.串田先生ご本人に,二度も草稿を読んでいただき,重要なご指摘を多く頂いています.これがなければ,本研究はきっと違うものになっていたことと存じます.そんな串田先生が大学を退官される年に,このような形でお礼を申し上げる機会をいただけたことは,実に幸運なことです.ありがとうございました.