2019年度(第19回 受賞者)

第19回 徳川宗賢賞受賞論文(2019年度)

優秀賞

「「個を基体とする言語行動」と「場を基体とする言語行動」―英語・中国語・日本語・韓国語・タイ語の比較より―」
第21巻1号,pp. 129-145.

藤井洋子
(日本女子大学)

萌芽賞【掲載順】

「中国語天津方言における相づちの特徴―頻度,形式,出現位置そして場面に注目して―」
第21巻1号,pp. 271-285.

羅希
(中山大学外国語学院(掲載時))
※授賞時の所属:
広東技術師範大学外国語学院

萌芽賞

「相互行為現象としての「コミュニケーション障害」― 一自閉スペクトラム症児の相互行為上の困難をめぐって―」
第21巻1号,pp.348-363.

高木智世
(筑波大学)

授賞理由

優秀賞

藤井洋子
「「個を基体とする言語行動」と「場を基体とする言語行動」―英語・中国語・日本語・韓国語・タイ語の比較より―」

第21巻1号,pp. 129-145.

 本論文は,日本語,英語,韓国語,タイ語,中国語の5言語でそれぞれ収集した「ミスター・オー・コーパス」のデータをもとに,課題達成談話における相互行為の比較分析を行ったものである. 分析対象データは,2名の参加者が絵カードを順番に並び替えながら物語を構築する談話であり,日本語12ペア,英語11ペア,韓国語10ペア,タイ語9ぺア,中国語12ペアの映像と音声データから成る. 分析の結果,英語と中国語では「個を基体とする言語行動」をとっていたのに対し,日本語,韓国語,タイ語では「場を基体とする言語行動」をとっていたとし,両者の相違点を明らかにしている.これにより,既存の「個を基体として自己が規定され,それをもとに言語行動が決定づけられる」という英語の志向性を前提とした語用論のパラダイムに対し,新たに「場を基体として自己が規定され,言語行動が決定づけられる」という日本語,韓国語,タイ語の志向性があるということを提案している.

 本論文は,数年にわたり共同研究で収集した膨大なコーパスデータを用いている点,これまでの研究成果の集大成としてまとめあげている点,日本語,英語,韓国語に加え,タイ語,中国語の2言語の調査を加えて,新たに5言語比較分析を量的・質的の両面から多角的に挑んでいる点が高く評価される. さらに,個と場という独自の観点から,論旨の通った議論にまとめあげた点で,大変優れた論文であると判断される. 今後も,さらなる言語データの収集のもと,より豊富な研究成果の発信が期待される点も高く評価できる. このような点から,本論文は,徳川宗賢賞優秀賞にふさわしい論文である.

萌芽賞

羅希
「中国語天津方言における相づちの特徴―頻度,形式,出現位置そして場面に注目して―」
第21巻1号,pp. 271-285.

 本論文は,調査当時30代から60代の中国語天津方言話者の男女7ペア13人の同性・同年代同士の組み合わせによる総計207分の自由談話データに出現する相づちについて,質量両面からの記述を試みたものである. 談話に出現する相づちは,頻度,形式,出現位置,場面などの観点から記述・報告されている. 従来の研究では,中国語母語話者の会話においては,日本語母語話者との対照において相づちの出現頻度が相対的に低く,相づちが出現する環境は文末や意味の切れ目に出現することが多いと指摘されてきた. しかし,本論文で検討した天津方言談話では,従来の指摘とは異なり,相づちの出現頻度は日本語母語話者についての先行研究に比しても低いとは言えず,出現位置も文末・意味の切れ目以外の箇所にも少なからず出現することを指摘している. 併せて,相づち形式のバリエーションも豊富であることもデータから示した. このような天津方言話者の相づち行動とバリエーションの豊富さの背景について,著者は天津方言が中国語社会における伝統的コント芸「相声」のベース言語であること,談話参加者らがその文化に親しんでいることに関連すると推測している.

 本論文の成果としては,従来の中国語の相づちに関連する先行研究では,談話参加者の生育歴・第一方言などを捨象した標準語である「普通話」ベースでやりとりする談話を分析したものであった. それに対し,本論文では「中国語」(あるいは「普通話」)としてひとくくりにせず,談話参加者の生育歴・第一方言を天津方言話者として明確にしている. そのことによって,先行研究における日本語母語話者は「共話」,「中国語話者は一方的でまとまりのある会話」をするという見解が必ずしも中国語話者一般に敷衍できるものではないことを示した点にある.

 一方,天津方言の相づちの多さを「相声」とその文化に結びつける解釈については,中国語社会における地域方言変種の役割や方言ステレオタイプとの結びつきが当該言語社会に共有されていることを示すもので,たいへん興味深い問題提起である.しかし,いまだ検証の余地の多くあるところで,今後の研究の深化と展開に期待する意味においても萌芽賞にふさわしいと判断した.

萌芽賞

高木智世
「相互行為現象としての「コミュニケーション障害」― 一自閉スペクトラム症児の相互行為上の困難をめぐって―」
第21巻1号,pp. 348-363.

 本論文は,自閉スペクトラム症(ASD)児と支援者の相互行為において,両者の「すれ違い」と解釈されるやり取りを会話分析の手法により詳細に分析することで,その背後に潜むASD児らの「理屈」に到達する可能性を示した論考である. 今回ASD児のコミュニケーションに特徴的とされる「独語的ふるまい」に焦点を当て,定型発達者には一見不可解に映る相互行為上のトラブルに一定の解釈を与えたことは特筆に値する. 特にASD児が「遊び」を継続するか否かを支援者と交渉する際に見せた逡巡と,それを機に生起した室内の鏡に語りかけるという児童の行為が,(遊びを継続するか否かという)喫緊の課題から一時的に撤退することで現実の問題解決を図るための対応策にあたると提起した. これをもとに,鏡を通じた「仮の参加枠組み」と,支援者との「現実の参加枠組み」の中で,不安定ながらも一定の秩序のもとで間主観的理解が達成されたことを明らかにして見せた.

 この解釈は,定型発達者である分析者の視点からなされたものの,ASD児の振舞いをつぶさに観察・描写することによって,ASD児との相互理解の可能性を提示した点が画期的である. このASD児が有する相互行為上のトラブルへの対処方法は,「ふつう」のそれとは乖離する可能性があるものの,マルチモーダルな資源を通じて検証に値するものとして分析の俎上に乗せられた. これにより,従来臨床の専門家に委ねられてきたASD児のコミュニケーションに対し,会話分析のさらなる展開と貢献を期待させた点が高く評価された.「人々の方法」を標榜するエスノメソドロジーの理念を共有する会話分析によって,定型発達者の「ふつう」なるものをもとにASD児の相互行為をどこまで敷衍しうるのか,またASD児の観察可能な行為をもとにどこまで行為者の心に踏み込めるのかといった課題は残るものの,未知の領域に挑む姿勢は挑戦的であり,その意味でも萌芽賞にふさわしいと判断された.

徳川宗賢賞を受賞して

藤井洋子

 この度は大変栄誉ある賞を賜り,誠に光栄に存じます. 改めて,この度の特集号の編者,査読者の皆様に心より御礼申し上げます. また,本研究は多くの研究者の支えを得て実現したものです. 支えて下さった皆様に改めて心より感謝申し上げます.

 本研究は2004年,日本語と英語母語話者達約50組のデータを収集する共同研究から始まりました. 同じ課題に取り組みながら,やり方が大きく異なる母語話者達を観察し,何がどう異なるのかを知るために,方法論から手探りの状態でした. 学会発表や共同研究者とのディスカッションを重ね,試行錯誤を経て,ようやくある程度納得できる結果に辿り着くことができました. 世界に拡がる多様性を認めつつ,秩序と共存が求められる現在,異なる言語文化・社会の人々を理解するための一つの手がかりとして提案したのが,「個を基体とする言語行動」と「場を基体とする言語行動」です. これらはそれぞれに対峙するものではなく,連続したものだと考えています. このような新しい志向性の提案を評価していただけたことはこの上ない喜びであり,改めて本学会の精神に深く感謝するところです. この受賞を励みに,今後も弛まず研究を続けて参りたいと考えております.

羅希

 この度は大変栄えある賞をご授与頂き誠にありがとうございます. この受賞は本論文に大変有益なご助言をくださった多くの皆様のおかげです. 本論文の作成にあたり,査読者の先生方から大変貴重なご指摘を頂きました. また,いつも辛抱強く相談を受けてくださる先生方と研究仲間,そして本論文の原点でもある,データ収集にご協力頂いた地元の天津方言話者たち,皆様のご協力がなければ,本論文は完成し得なかったでしょう. この方々に深謝の意を表したいと存じます. ありがとうございました.

 本論文は中国の北部にある都市—天津の方言話者の会話における相づちの頻度,形式,出現位置そして場面を記述したものです. 従来の「中国語母語話者は相づちを高頻度に打たない」という指摘と異なり,天津方言話者の会話においては相づちの頻度が高く,形式のバリエーションが豊富であることが判明しました. ただ,類似することが他の地域の方言にも見られるかもしれませんし,それにコミュニケーションの考察において相づちを含め,検討しなければならない重要な現象は多くあります. その意味で本論文は,あくまで問題提起のようなものにすぎません.

 中国に帰国して以来,中国の各地域出身の研究者と連携を取り,各方言の母語話者のコミュニケーション様式を解明するように努力しています. 今後は引き続きご鞭撻のほど宜しくお願い致します.

高木智世

 全くの単一事例分析である拙稿がこの度栄えある徳川賞に選出されたのは,誠に予想外のことで,大変嬉しく光栄に存じます.選考委員会の皆様に厚くお礼申し上げます.

本論文は,日本コミュニケーション障害学会講習会でASD児の相互行為の分析例として提示させて頂いたことが基になっています. 貴重な機会を下さった長塚紀子先生,すでに別の手法で分析されていたデータを会話分析の手法で分析させて頂けるだろうかという大変厚かましいお願いを寛大にもご快諾下さった大井学先生にはお礼の言葉もございません. 私は,このデータに登場するT君とRさんには時間的・地理的に隔たったところで出会いましたが,本稿のような事例研究は,当然ながら,こうした協力者の存在によって可能となっています. この場を借りて深く感謝申し上げます. いつもデータセッションでたくさんのヒントを与えてくれる素晴らしい研究仲間にも感謝の思いで一杯です.

今年度より大井先生のASD研究プロジェクトに加えて頂きました.「萌芽賞」の名に恥じぬよう,今後も,ASD当事者にとっての相互行為秩序(=「理屈」)を会話分析の方法で紐解いていく試みを追求すべく精進して参ります.